磺渓書院は台中市大肚区磺渓里にあり、文昌廟とも呼ばれます。1888年に建てられた、清朝末期の文教建築として傑出した作品です。文昌帝君を祀る寺院で、当時の文学者が集い、詩や文学について語り合う場でもありました。日清戦争後、台湾は日本に割譲されました。日本の統治下で、磺渓書院の教育事業は中断を余儀なくされました。第二次大戦後、磺渓書院は絶えず盗難に遭い、また寺の所有物として売り払われ、中庭の石柱や石板も失われてしまいました。拝殿の半分以上が崩壊し、門廳や大殿、正殿も全壊の危機に瀕し、磺渓書院は往時の美しさを失っていました。1986年、磺渓書院が正式に内政部から史跡として認定され、修復や計画に資金が提供されて、徐々に元の状態に戻っていきました。
磺渓書院は、現代の寺廟のような大規模なものではありませんが、伝統的な閩南(=福建南部)式の中庭のある建物で、民家と孔子廟の建築様式の中間にあたる平屋建ての建物です。細部の装飾やレンガに施した細工は特に優れ、台湾で最高のレンガ造りの建物で、台湾建築史の中でも芸術的価値が高いと云われています。屋根は5分割されて6つの燕尾を持ち、屋根には通気口が残されています。精巧で華麗な建築手法が用いられています。