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テレサテン紀念墓園─筠園

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テレサテンはいま、新北市北海岸の金宝山墓園に眠っています。金宝山墓園は芸術的景観をもつ現代的な墓園です。山を背に広々とした敷地、眼下には金山から野柳一帯が一望におさまります。そうした風光を愛でて、多くの要人や経済界の重鎮、またスターたちが当地に墓を設けていますが、なかでも、テレサテンの墓筠園はもっとも華やかな輝きを放っています。筠園の位置は東北向きで、遠くに太平洋を望み、周囲も美しく整備されていることからテレサテン記念公園と称されています。

テレサテン紀念公園は金宝山墓園の「愛区」にあります。広場と墓園の二つの部分に分かれ、およそ百坪あります。広場の部分は金宝山墓園の公共用地で、墓園部分は約50坪です。広場には大きなピアノの鍵盤が据えられています。以前は実際に音色を出すこともできたといいます。筠園への入り口には赤外線の感知装置がセットされていて、人が入ると同時にテレサテンの名曲の数々が流れます。

テレサテンの墓園の前面はテレサの銅像を囲むように、小さな花壇がしつらえられています。像は、テレサが1993年に台湾政府軍営を訪問したときの様子をモデルにしています。生き生きした表情が印象的です。季節ごとにいろいろな花が咲く花壇は大きな音符状にデザインされていて、テレサの永遠なる歌声を象徴しています。指示に従って進むとテレサテンの墓前に至ります。荘厳な佇まいです。棺の覆いと墓碑には南アフリカの大理石が使われています。棺の蓋にはバラの彫刻があり、その前面に参拝者の花が生けられ、中央にはテレサの写真も埋め込まれています。墓碑上の彫刻は大地の母を象徴し、テレサテン安眠の地を表しています。「鄧麗君1953~1995」とあるのは、彼女の本名です。

1995年5月8日、テレサテンは喘息の発作でタイのチェンマイで急死し、遺体は台湾に運ばれました。台湾の著名な墓園が次々に土地の提供を申し出ましたが、遺族が最終的に金宝山を選んだといいます。現場にはいまも絶えることなく参拝者が訪れます。テレサテンの墓碑右手の大きな石には「筠園」と刻まれています。テレサテンの本名からとったものです。石前の樹には、参拝者が残した多くの言葉がぶら下げられています。

テレサの歌に見送られて、外に出ると、樹林の中に石碑が建っています。テレサの墓誌で、彼女の兄の鄧長富が、テレサの短くも輝かしい一生を簡潔に紹介しています。祖先の原籍は河北省大名県、1953年1月に台湾雲林に出生し、幼い頃から歌唱の天賦を発揮し、14歳で歌壇にデビュー。以来その優美な歌声は中国・東南アジア各地・日本および米国に響き渡りました。彼女が日本で出したレコードは25枚、総販売量は1千万枚に達しています。

いまも多くの団体や個人が彼女を偲ぶホームページを開設しています。1995年に成立したテレサテン文教基金会は毎年彼女の命日に、遺族と共同で筠園にて記念の行事を催しています。また5月8日前後には、別途一連のイベントがファンの手で展開されます。

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