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龍騰断橋

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古くは「魚藤坪」と呼ばれた龍騰は、開墾当初、池の鯉のヌシに祖先が苦しめられたと伝えられる場所です。この鯉のヌシの悪事を防ぐため、龍騰山に魚藤(デリス)を植え、また東の山を関刀山と呼ぶようにし、この山の刀で魚藤を切り、魚藤の毒で鯉のヌシを退治しようとしました。ついにはヌシも大人しくなり、安心して暮らせるようになったということです。戦後、「魚藤」から「龍騰」と名が改められました。

1935年4月21日の明け方、台湾中部で大地震が発生しました。震源地は関刀山付近で、三義も大きな被害を受け、巍峨にあった鉄橋・龍渓橋が崩壊しました。その後、その西側に新しい橋がかけられましたが、旧龍渓橋の残骸はこれまでの年月に耐え、地震の痕跡をいまにとどめています。列車で三義を通るとき、この橋の遺跡を見ることができます。

龍騰断橋はもともと1908年に台湾総督府鉄道が縦貫線(のちの台中線)を全線開通させた時に作られたレンガ製のアーチ橋でした。1935年の新竹台中地震で破損し、また1999年の921大地震によって更に一部が崩壊し、いまもなおその無残な残骸が残されています。

この橋は「九二一震災紀念物」として保護されています。また地元の三義郷公所(役場)でも、龍騰断橋が古跡指定を受けられるよう目指しています。現在では「勝興車站」(駅)と並び旧山線の二大観光名所となっています。

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